よく転がっているネタ

こんなページを見つけた。

いろいろな啓発本などが出ていますが、Webにもいろいろありますな。

自分もガキ子供に教えることを、やっている身として納得できる部分と、考える部分とがある。

そもそも、この奥さんもそうだけど、多くの人が「他人は自分ではない」ということを理解していない気がする。

そんなことはない、と言う人も多いと思いますがこれが意外と多いきがします。外観は当然として、趣味や嗜好、宗教なんかは違って当たり前だと思っている人は非常に多いと思います。

ただ、無意識の行動が人と違うのが当然と思っている人は以外と少ないと思います。
それでもまだ、それが外から見られる行動なら判るんですよね、大体の人は。

なにが言いたいかというと、(広い意味で)考えるということが人それぞれで違うということを理解している人は少ないなぁと思うんですよ。

先のページでいうと、旦那側は順を追って一つ理解してから次を理解するタイプ。奥さんは、可能な限り全ての情報を一括して咀嚼して理解するタイプ。高校生は、不明ですが。。。

何かを暗記するにしても、言葉で覚えるタイプ、文字を映像として覚えるタイプ、音として覚えるタイプ等色々いると思います。
不特定多数に、教える行為を重ねると、この辺のことが判ってくるようになるんですね。その後、そこを否定するか受け入れるかで、教育に向くか否かが大体決まる気がします。

あとは、教える側が部下なり生徒なりの理解していない部分を見抜く眼力がいるんですが、これはまた別の話。経験が物をいうことでもあるんですけどね。

もっとも、先のページの奥さんの思考は、「これが出来ないのは、私の場合だとこんな理由だから、私ならこう説明されれば…」と相手のことは一切考えていないと思われるので、教育に向く向かない以前のところにいると思います。

まぁ、自分にそれが出来てるかというと、出来てないんですね、これが。